私的ルーヴル八十八宝めぐり⑥絵画篇(北方絵画)

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2004年1月発行
芸術新潮「精選!ルーヴル八十八宝めぐり」

美術史家の小池寿子さんがルーヴルの常設展示3万6000点から88点を選りすぐり、古代エジプトからドラクロワまで、効率よく楽しく回れるよう秘密の急所を伝授した永久保存版。私のルーヴル鑑賞におけるバイブル。そのバイブルをナビに、今春、私的ルーヴル八十八宝めぐりを実現(12年ごし・・)!

本来ならパリの街角動物のまとめが先だけど、12年ごしとあっては・・ここはルーヴルを優先!余韻に浸りつつ健忘録。

結局、2日間に渡り、88のうち74の宝をみることができた・・




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≪円形の大ピエタ≫
ジャン・マルエル
1400年頃
テンペラ 板

ここからやっと絵画部門に。ルーヴルには13世紀から19世紀までのヨーロッパ絵画が約7,000点常設されている。内訳は、北方絵画(オランダ・フランドル・ドイツ)約1,300点、イタリア絵画約1,100点、イギリスとスペインは各100点、自国フランス絵画は約4,400点!!

ジャン・マルエルは北方出身、この時期のフランス画家には北方出身が多かったのだとか。三位一体(父と子と聖霊)とピエタの両主題を兼ねたこの種の絵柄は、14世紀のパリで考案された。右脇腹をつたって流れる血は股間に達している。磔刑で人間の罪をあがない、救済をはかったイエスから流れる血は、新たな生命体を産むための初潮である」 このとても特異な考えは、神話主義者の間で広まった。その初潮の血が眼に入り白内障が治ったとされるのは、イエスの脇腹を槍で刺し、生死を確認したロンギヌス。のちに改心し、洗礼を受けたとされる。




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≪パリ高等法院の祭壇画≫
フランドルの画家
1452年頃
油彩 板

とても印象的な、向かって右下に描かれたパリの初代司教サン・ドニの殉教シーン。3世紀、ローマ長官によって斬首刑に処せられた、刑執行後、斬られた首を持って立ち上がり、説教をしながら10キロほど歩いて果てたという。サン・ドニ司教の血液型はA型(ど根性)に違いない!斬首の場所はモンマルトル(殉教の丘)。その10キロ先のサン・ドニに修道院が建てられ、12世紀以降、フランス王家の霊廟になった。




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≪ブラック家の祭壇画≫
ロヒール・ヴァン・デル・ウェイデン
1450年
油彩 板

初期フランドル派の画家ロヒール・ヴァン・デル・ウェイデンが描いた三連祭壇画。向かって右翼パネルにはマグダラのマリア、中央には聖母マリアとイエスと福音記者ヨハネ、左翼には洗礼者ヨハネが描かれている。興味深いのは"流れる文字"を思わせるラテン文字。「自分たちがいかに虚栄に満ちた存在であるかを忘れるな かつて美しかった私の身体も今では虫どものエサになっている」という、死へのメメント・モリ(警句)が書かれている。「南無阿弥陀仏」の念仏を唱える空也像を思わせる。




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≪エジプト逃避途上の聖家族≫
ハンス・メムリンク
1475年~1480年頃
油彩 板

初期フランドル派の代表的な画家の一人、ハンス・メムリンク作。左扉から養父ヨセフ、中央にキリストを抱いた聖母マリア、右扉にマグダラのマリア。ヘロデ王の嬰児(えいじ)虐殺令から逃れるため、聖家族は幼児のイエスを連れエジプトへ逃げ出す。その道中の荒野でつかの間の休息を取る聖家族が描かれている。嬰児虐殺は ショッキングな題材ながら、名立たる画家たちも絵に描いている。ニコラ・プッサンのそれは鬼気迫るものがある。当時のベツレヘムの人口はせいぜい300人程度、殺された幼児の数はどんなに多く見積もっても20~30人程度であったのではないかと推測される。




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≪キリスト教のアレゴリー≫
ヤン・プロヴォースト
1510年~1515年
油彩 板

アレゴリとは、絵画、詩文などあらゆる表現における抽象を具体化する技法の一つ。絵は「すべてを見 すべてを創って裁く 神の力」を象徴。見たこともない最後の審判の光景が広がっている。そして、良い人の魂は天国へ、悪い人の魂は・・




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≪ピエタ≫
サン・ジェルマン・デ・プレの画家
1495年~1500年頃
油彩 板

ー幼子は母に言う パンはどこ ぶどう酒はどこ と。傷つき 衰えて 都の広場で 息絶えてゆく。母のふところに抱かれながら。ー「預言者エレミヤの哀歌」より。聖母マリアの大粒の涙が印象に残る。マグダラのマリアは神妙な顔つきで香油壺を手にしている。自らの髪でイエスの足に香油を塗ったとされることから長い髪で描かれることが多いマグダラのマリアだが、この絵では頭にはターバンを巻いている。ポーズが格好いい。タカラジェンヌのよう。ピエタは15世紀ヨーロッパで最も広く普及したテーマのひとつ。イエスの年令は30代、聖母マリア様は40代。(いろんな説があるのでここは大まかに)




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≪十字架降下≫
聖バルトロマイ祭壇画の画家
1500年~1505年頃
油彩 板

あまり語られることのない、というか、初めてみるドイツの画家による十字架降下。まるで浮き彫り彫刻のよう。特に、マリアの哀悼を誇張した様相は、端正な形式美を追求したアングル「オダリスク」や、正しい動きよりも速さや躍動感を重視したジェリコー「エプソンの競馬」を思わせる。




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≪少女の肖像≫
ルーカス・クラナッハ
1540年
油彩 板

16世紀ドイツの3大画家といえば、デューラー、ホルバイン、そして、このクラナッハ。絵は68歳の時の作品。・・にしてはちょっと少女趣味のようにも見えるが、今でいう援助交際を題材にした絵も描いているところをみると、ロリコンへの風刺画?にも思えてくる。クラナッハお得意の女神像は60歳を過ぎてからのもの。作風からは、人生に対する洞察力、審美眼を兼ね備えた力量がうかがえる。宗教改革家マルチン・ルターと親交があり、ルターとその家族の肖像画をたくさん残している。個人的には、オーダーでマルチン・ルターベアを作る時にクラナッハの肖像画を参考にさせてもらった。ルターの説教集の表紙も木版画で飾っている。晩年は、同じ名前の息子他に工房を任せ、81歳まで生きた。いい画家人生だったに違いない。




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≪バテシバの水浴≫
ヤン・マセイス
1562年
油彩 板

水浴び中のバテシバに目を留めたダビデ王は、遣いをやってバテシバを自分の下へ来させ、その夫である、自身の軍隊の将軍ウリヤを欺いた。かなり強引、英雄色を好む、だ。ヤン・マセイスはアントワープで活躍した画家。イタリアのマニエリスムの影響を受け、男を滅ぼす妖艶な女性を描いた。思わず「美しい!」と言ってしまった。




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≪ロードス島の巨像≫
ルイ・ド・コルリー
16世紀後半~17世紀初頭

太陽神ヘリオスをかたどった巨大彫像は、紀元前3世紀頃、12年の歳月を経て、リンドスのカレスによって、エーゲ海南東部のロードス島に建てられた。自由の女神像に匹敵する大きさで、なんでもいま、再建の動きがあるとか!これまでも再建の話があったが、地震によって倒壊したことから、神に似せた彫像を作ったことが神の怒りに触れたのだ!と反発をかい実現には至らなかった。絵は、16世紀後半に話題を呼んだM・ヴァン・へームスケルクの銅版画「世界8不思議」に触発されて描かれた。




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≪バテシバ≫
レンブラント・ハンメルス・ファン・レイン
1654年
油彩 カンヴァス

ダビデからの手紙を手に失意の底にあるバテシバ。描き手によって印象が違う。マセイスのバテシバよりも親しみを感じる・・と思ったら、モデルはレンブラントの後妻ヘンドリッキェ・ストッフェルスだった。若くして乳癌で亡くなったことは、専門家によると、この絵の左胸のエクボからもわかるそう。バロックを代表する画家レンブラントの光と影の明暗が、この2人の宿命を美しく浮かび上がらせている。




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≪部屋履き≫
サミュエル・ファン・ホーホストラーテン
1654年~1662年
油彩 カンヴァス

暗箱を使って描かれた、写真のような絵、トロンプ・ルイユ。レンブラントに学び、フェルメールと同じ時代を生きた17世紀のオランダ絵画を代表する画家ホーホストラーテン。初期ルネサンスの建築家レオン・バッティスタ・アルベルティは「絵画は窓である」と言っている。ホーホストラーテンの絵はまさに開かれた窓。


by cocobear-riko | 2016-04-19 10:45 | 1er arrt | Comments(0)

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