私的ルーヴル八十八宝めぐり⑧絵画篇(イタリア・スペイン絵画)
e0082110_1391980.jpg

連日、郷里 熊本地震へのお見舞いをありがとうございます。来週、熊本に帰る予定にしていましたが、当初の予定通りです。しっかりと今の熊本を見てきたいと思っています。

そして、これが最後の記事。ルーヴルのこの450メートルの長いグランド・ギャラリーのように、まとめるのにも少々時間がかかってしまった。6万平米のルーヴルには450もの部屋があり、毎日2万人の来館者を誇る。監視員は1,000人。今回、若いボランティアもたくさんいた。でも、私が探している作品の行方を尋ねても、対応できた人はいなかった。ベテランの監視員からは「日本人はモナリザやミロは聞いてくるけど。あなたって・・」と笑われてしまった。

1595年、アンリ四世は、ルーヴル大改造に着手、このグランド・ギャラリーが出来上がった。幼いルイ十四世は、この長いギャラリーで、ラクダ競争や狐狩りごっこに興じていた。フランス革命を経て、1804年、皇帝となったナポレオンは、アンリ四世の大構想を上回る壮大なプランを描き、質量ともに、世界最高レベルの美術館に引き上げた。その後も、普仏戦争、パリ・コミューン、第一次世界大戦と、幾多の困難を乗り越え現在に至る。そして、これからも、ルーヴルは、進化をし続けるだろう。

2004年1月発行
芸術新潮「精選!ルーヴル八十八宝めぐり」

美術史家の小池寿子さんがルーヴルの常設展示3万6000点から88点を選りすぐり、古代エジプトからドラクロワまで、効率よく楽しく回れるよう秘密の急所を伝授した永久保存版。私のルーヴル鑑賞におけるバイブル。そのバイブルをナビに、今春、私的ルーヴル八十八宝めぐりを実現(12年ごし・・)!

本来ならパリの街角動物のまとめが先だけど、12年ごしとあっては・・ここはルーヴルを優先!余韻に浸りつつ健忘録。

結局、2日間に渡り、88のうち74の宝をみることができた・・




e0082110_136444.jpg

≪授乳の聖母子≫
バルナバ・ダ・モデナ
1370年
テンペラ 金 板

宗教が複雑化、形骸化(けいがいか)する13世紀頃から、ヨーロッパ各地で聖母崇拝が広がり、聖母子像が多く描かるようになる。聖母マリアの後光には「よき勧めの聖母」と書いてあるのだろうか。絵は、14世紀イタリア、ルネサンスへと歩み始める時代に入っても、バルナバの聖母子はいまだビザンティン美術の影響を留めている。青いマントを纏い赤い服を身に着ける聖母マリアは、希望の印、太陽の到来、導きの星として「海の星」と呼ばれた。聖母子をテーマにした絵画はたくさんの画家によって描かれているが、聖母子ともにコチラを見ている絵をあまり知らない。モナリザが描かれたのはこの絵の約140年後だが、モナリザ効果か、この視線から逃れられなくなる。




e0082110_1363634.jpg

≪聖ヒエロニムスの奇跡≫
イル・ぺルジーノ
1473年~1475年頃
テンペラ 板

多翼的祭壇画の一部、聖ヒエロニムスの赤い祭服、そのデザイン、ふたりの死体に、目が釘付けになった。赤い祭服は、血に象徴されるように、受難の主日(しゅじつ)や聖金曜日、殉教者の祝日・記念日などに用いられ、慈悲に繋がるとされてきた。刑場の死体は、聖ヒエロニムスの慈悲が通じたのか、死してもまだ生きているように見える。聖ヒエロニムスは、ローマ・カトリック教会 四大教父の一人。脚に棘を刺したライオンと出会い、棘を抜いてやったところ、そのライオンは生涯 聖ヒエロニムスに尽くしたという武勇伝を持つ。




e0082110_1371533.jpg

≪パドヴァの聖アントニウス≫
コメス・トゥーラ
1475年
油彩 板

聖アントニウスはポルトガルの出身。フランシスコ修道会に入り、聖フランチェスコの弟子となる。 弁舌に優れ、魚に説法をしたという。きっと熱弁をふるったのだろう、左手に持つ聖書が鼻息?でぱらぱらと捲れているのが印象的だ。グスタフ・マーラーは、交響曲第2番『復活』の第3楽章で「魚に説教するパドヴァの聖アントニウス」を引用、煩悩に充ちた支離滅裂な人間界を魚に例え、壮大なオーケストレーションで寓意した。一見通り過ぎてしまいそうな聖人の絵でも、どこかに自分なりの面白味を見つけると、距離がぐっと縮まる。




e0082110_138226.jpg

≪祝福するキリスト≫
ジョヴァンニ・べッリーニ
1460年頃
油彩 板

小池さんは、キリスト三態として、以下の3作品を比較している。情けないキリスト、哀れみをそそるキリスト、美男風のキリスト、年代順に並べてみた。いづれも祈念像の形式をとっている。ジョバンニは、父ヤコボの工房を継いで、兄ジェンティ―レとともにヴェネツィア派を築いた画家。祝福のために上げた右手が弱々しい、脱力系のキリストだ。




e0082110_138231.jpg

≪円柱の縛りつけられたキリスト≫
アントネッロ・ダ・メッシーナ
1476年頃
油彩 カンヴァス

メッシーナはシチリア出身、フランドルにも旅をして、繊蜜描写と油彩技法を学び、テンペラが主体だったイタリアの板絵に革命をもたらし、とりわけヴェネツィア派に多大な影響を与えた。着飾ったモデルを描く肖像画や、宗教をテーマにした作品を得意とした。小品が多かったのだろうか、この絵も個人からの注文で描いている。まず、キリストがメタリックのような円柱に縛られていることに背筋がひんやりした。茨の冠もメタリックにみえてきて痛々しい。メッシーナは、狭い枠の中にキリストの上半身を描くことにより、肖像画のように仕上げたのだ。つい感情移入してしまった。




e0082110_1384614.jpg

≪エッケ・ホモ(この人を見よ)≫
バルトロメオ・モンターニャ
1500年~1507年
油彩 板

まるでパティシエのセヴァスチャン・ゴダール(わかる人にはわかるw)を思わせる美男のキリストを描いたモンターニャは、郷里からヴェネツィアに出て、ジョバンニの工房で仕事をしていたとみられ、メッシーナの影響を受けたとされる。エッケ・ホモは、磔刑を前にしたイエス・キリストを侮辱し騒ぎ立てる群衆に向けて、ピラトが発した言葉だ。エッケ・ホモといえば記憶に新しい・・2012年、当時82歳の自称修復士のおばあちゃんが加筆した「猿のキリスト」を思い出すw。以上の三人は、15世紀後半、東西交易の中心地として繁栄した国際都市ヴェネツィアでシンクロしているのだ。三人三様でとても興味深い。




e0082110_1411877.jpg

≪イエスの割礼≫
ジュリオ・ロマーノ
1521年~1522年頃
油彩 カンヴァス

16世紀初頭、イタリアはすでに盛期ルネサンスを経て、マニエリスムの時代へと向かっていた。その後にはバロック期が控えている。ジュリオ・ロマーノはルネサンス中期の建築家・画家。主題よりも蛸足のようなうねうね柱に目が奪われる。幻想的で官能的なマニエリスム芸術は現代に通じるものがあると、ジュリオ・ロマーノの作品をみて思う。




e0082110_1413840.jpg

≪ピエタ≫
ロッソ・フィオレンティーノ
1533年~1540年頃
油彩 カンヴァス

フィレンツェの画家。1527年、神聖ローマ帝国皇帝カール五世に略奪されたローマから逃れた画家たち、ロッソ・フィオレンティーノは、新天地を求めながら国際マニエリスムの潮流を生み出していった。フランソワ一世に見染められたロッソは、フォンティーヌブロー宮殿の回廊の装飾を担当、優美な世界を見事に演出した(フォンティーヌブローは未踏の地、行きたい)。こうしてロッソは、マニエリスムをフランスに伝える大切な役割を果たした。が、気性の激しい性格が災いし友達と衝突、若くして自殺で亡くなっている。この絵の聖母マリアからは、やるせない焦燥感を感じる。




e0082110_1422586.jpg

≪サビニの女たちの略奪≫
ジャック=ルイ・ダヴィッド
1799年
油彩 カンヴァス

ダヴィッドは、18世紀後半から19世紀前半にかけて、フランス史の激動期に活躍した、新古典主義を代表する画家である。ローマ人によって略奪されたサビニの女たち、サビニの男たちは女たちを奪回しようと戦う。ダヴィッドは絵の中で、ギリシア彫刻に表わされているような裸体の戦士を描くことにした。・・とすかさず、戦士の盾に目がいく。そ、私のテリトリー、ルパ・ロマーナ(ローマの狼)、ローマ市の紋章が施されているではないか!- La Louve et Romulus et Remus - ロムルスとレムスは、ローマの建設者で双子の兄弟。叔父の王によってテヴェレ川に捨てられ、狼によって育てられたと伝えられる。ローマにとっては母のような存在なのだ。この戦士も、この盾に守られ、無事に女達を奪回できたに違いない。

余談・・
1804年、皇帝となったナポレオンは、屋根がないまま放置されたシュリー翼を完成させた。 その為、芸術家たち約200人(その中にはこのダヴィッドもいた)を強制退去させている。 ナポレオンの栄光とドゥノンの手腕によって、ルーヴル美術館は、質量ともに、世界最高レベルの美術館になった。ちなみにこの絵もドゥノン翼でみることができる。





e0082110_1434773.jpg

≪メデューズ号の筏≫
テオドール・ジュリコー
1819年
油彩 カンヴァス

1816年、150人以上の乗組員を乗せた軍艦が、セネガル沖で難破した実話をもとに描いた作品。あのドラクロアが友人ジュリコーのために死体役をかってでたことで知られている。 ジュリコー27歳の時の作品。当時、賛否両論の物議を醸し出した大作だったが、好き嫌いは別にして、私も今回この記事を書くにあたり、美術作品を見る姿勢の大切さに気付かされた。敬遠していた作品ほどいっぱい向き合った。

余談・・
1870年、パリがプロイセン軍に包囲されると、グランド・ギャラリーは、銃身を彫る工場と化した。翌年5月には、パリ・コミューンの最中、チュイルリー宮に火が放たれる。チュイルリー宮は焼け崩れ、12年もの間無残な姿をさらした末に撤去、「口」の字型に完成したルーヴルは、わずか25年でその一辺が欠けて「コ」の字型となってしまった。そして、第一次世界大戦、美術品たちの疎開合戦。1914年、主要な作品が、南仏トゥールーズやブロワまで特別列車に乗って疎開した。この絵もそのひとつだった。が、その大きさから、ヴェルサイユの市庁舎前で、カンヴァスが市電の架線に引っかかりショート、暗闇の中、飛び散る火花が名画を照らしたといわれている。まるで「メデュース号の筏」の運命を物語っているようだ。。





e0082110_145560.jpg

≪サルダナバールの死≫
ウジェーヌ・ドラクロワ
1827年
油彩 カンヴァス

いよいよ最後の一枚は、ドラクロア29歳の時の渾身の作品。この絵にも、フランス人の子供たちの社会科見学の姿があった。私がカルーゼルの職人展に出展した時も、木曜日だったか、子供たちの社会科見学デーという日があり、熱心に丁寧に私のブースを見てくれたことを思い出す。サルダナパールはアッシリアの王、快楽主義者で、栄華な生涯を送った専制君主である。当然、反乱が起こる。だが、王は「自分が死ぬ時はもろともに」と明言していた。。この作品は酷評だったが、若き詩人ボードレールは礼讃した。「ロマン主義と色彩は、私を真っ直ぐドラクロワへと導いていく。彼がロマン派という肩書を得意に思っているかどうか私は知らない。だが、彼の座席はここにある。なぜなら、大部分の観衆は、随分前から、彼を現代派の首領と認めてきたからである。」


# by cocobear-riko | 2016-04-22 13:59 | 1er arrt | Comments(0)
私的ルーヴル八十八宝めぐり⑦絵画篇(フランス絵画)
e0082110_273973.jpg

やっとフランス絵画まで辿りつきました。ゴールも近いです。連日、熊本に心を寄せながら、祈るような気持ちで記事をまとめています。自分に出来ることはなにか・・コンビニに行く度にレジ横の募金箱に寄付をしたり・・マイルを寄付に交換したり・・シュタイフでくまモンキーリングを購入したり(5,000円が熊本県に寄付される)・・そして作品の売り上げの一部を熊本城再建のために寄付することにいたしました(また違う形での支援も考えています)。パリの街角動物ハンターとしては、しゃちほこの行方も気になります。。詳細は分かり次第お伝えしてまいります。よろしくお願いいたします。

2004年1月発行
芸術新潮「精選!ルーヴル八十八宝めぐり」

美術史家の小池寿子さんがルーヴルの常設展示3万6000点から88点を選りすぐり、古代エジプトからドラクロワまで、効率よく楽しく回れるよう秘密の急所を伝授した永久保存版。私のルーヴル鑑賞におけるバイブル。そのバイブルをナビに、今春、私的ルーヴル八十八宝めぐりを実現(12年ごし・・)!

本来ならパリの街角動物のまとめが先だけど、12年ごしとあっては・・ここはルーヴルを優先!余韻に浸りつつ健忘録。

結局、2日間に渡り、88のうち74の宝をみることができた・・




e0082110_19292.jpg

≪エヴァ・プリマ・パンドラ≫
ジャン・クザン(父)1550年
油彩 板

文字には、かつてパンドラであったエヴァ、と書いてある。人類を堕落させたエヴァ、数限りない災いをもたらしたパンドラ、史上最強の2大悪女の融合である。パリ南東の離宮に花開いたフォンテーヌブロー派クザンの作品(フランスよりもイタリア・マニエリスムの伝統に属している)。背景の豊かさと相反し、頭蓋骨を弄んでいるような様相に、避けられない死を想う。ヴァニタスとは「人生の空しさの寓意」を表す静物画。バロック期の精神を表す概念だ。頭蓋骨は死を寓意。エヴァはリンゴを食べたことによって死にゆく存在になった。

バロック期の精神を表す三大概念・・

ヴァニタス(虚栄のはかなさ)
カルペ・ディエム(今この瞬間を楽しめ)
メメント・モリ(死を想え)

永遠のテーマだ。




e0082110_1102293.jpg

≪アモールの葬礼≫
アントワーヌ・カモン
1560年~1570年頃
油彩 カンヴァス

こちらもフォンテーヌブロー派の作品。今回、小池さんの案内で、好きになった一枚。黒い頭巾を被ったクピド(アモール)が、棺に乗った愛(アモール)をディアナの神殿へと運んでいる。時代を代表する詩情溢れる絵、私もこんな葬送がいい。アモールとは、フランス南東部ドーフィネの名門貴族ディアーヌ・ド・ポワチエのこと。アンリ二世の愛人だったが、王が急逝すると、王妃カトリーヌ・ド・メディシスから追放され、自領のアネの城で67歳で亡くなる。ディアーヌの娘は遺言どおり、城の近くに霊安堂を建てて母の墓とした。ディアーヌ(英名ダイアナ)は狩猟の神、神殿のファサードにその象徴である鹿の頭部の装飾をみることができる。




e0082110_113511.jpg

≪アモールの葬礼≫
アントワーヌ・カモン
1560年~1570年頃
油彩 カンヴァス

mignon♡




e0082110_114066.jpg

≪アルカディアの牧人たち≫
ニコラ・プッサン
1639年~1640年
油彩 カンヴァス

太陽王ルイ14世が死ぬまで身近に置いていた絵とされる。墓石らしき石には「われもまたアルカディアにありき」と刻まれている。アルカディアとはギリシャのペロポネソス半島にある高原地帯で、理想郷とされたところ。牧人たちが指を差す先にあるのは”死” 古典主義的で深い思想を背景に、ここにもメメント・モリの精神が伺える。

余談・・
この絵のあるリシュリュー翼は、リシュリュー枢機卿に由来する。リシュリューは、詩作、劇作、美術コレクター、アカデミー・フランセーズの創始者。 ルイ十三世は、このリシュリュー枢機卿と一緒に、大構想(ルーヴルの各辺を2倍に拡張する)大構想を進める。1643年、フロンドの乱が起こると、拡張工事は一時中断。乱が静まり、若き太陽王がルーヴルに戻ったのは、1654年のこと。
※フロンドの乱
フランスにおける貴族の反乱(これが最後の貴族の反乱)。 貴族勢力は打倒され、絶対王政の確立につながった。フロンド(fronde)とは当時流行していた投石器の意。





e0082110_1145038.jpg

≪聖イレネに介抱される聖セバスティアヌス≫
ジョルジュ・ド・ラ・トゥール
1649年
油彩 カンヴァス

聖イレネは看護婦の守護聖人、聖セバスティアヌスは疫病退散の守護聖人として、ルネサンス以降、最も多く描かれた聖人像と言われている。近代以降は同性愛者の守護聖人としての信仰を集めている。3世紀のローマ、聖セバスティアヌスは、皇帝のもとで兵士として働きながらも、密かにキリスト教信仰をもっていた。友人の信徒を助けようとしたことからその信仰が露見、皇帝の命により、矢を射抜かれる。セバスティアヌスの脈をとるイネス、炎がまだその生があることを物語っているようだ。リニューアルして明るくなったシュリ―翼で久しぶりにこの絵と対面した。ラ・トゥールが好きになった。ルーヴルは、1803年、ナポレオン美術館としてスタート、初代館長ドミニク=ヴィヴァン・ドゥノンの命を受け、よりよい環境で美術作品を鑑賞できるよう、いまなお進化し続けている。




e0082110_149943.jpg

≪ラ・フィネット≫
ヴァトー
1716年
油彩 カンヴァス

18世紀のヨーロッパはロココの時代。絵画の主題においては、男女の愛の駆け引きを主題にした風俗画が目立つようになる。ヴァトーも「雅びな宴」と呼ばれ、田園に集う愛を語り合う若い男女や、イタリア喜劇やオペラの登場人物などを描いた。テオルボ(リュートの一種)を奏でる少女は、有名な≪無関心(冷酷な男、気紛れな恋人)≫が踊りを表わしているように、音楽を表わしている。ルーヴルのサイトをみると、ラ・フィネット(悪戯好きな小娘)とある。まさにそんな表情をしている。遅咲きのヴァトーは、36歳という若さで亡くなっている。

余談・・
ちょうどこの絵が描かれた頃、1715年、歴代の王で一番長い在位を誇る、72年にもおよぶ太陽王の治世が終わりを告げる。ちなみに、英国のヴィクトリア女王は64年、清の康煕帝(こうきてい)は61年。ブルボン朝最盛期の王の墓には「好きなだけ搾取した王、高利貸しの仲間、怪しげな女性たちの奴隷、平和の敵ここに眠る。その冥福を神に祈ることなかれ。このような怪物が二度と現われないことを願う。」 と刻まれている。。啓蒙思想に感化されたルイ十五世は、1750年、リュクサンブール宮で、王室の油彩画110点を公開した。 そしてこの後いよいよその時がやってくる。。





e0082110_115497.jpg

≪アモールとプシュケー≫
フランソワ・ジェラール
1798年
油彩 カンヴァス

気がつけば、フランス革命後の絵画に。紀元前からずっと見てくると、ついこの間のことのように思えてくる。ヴィーナスの嫉妬を買ってしまうほどの美貌の持ち主であるプシュケーに、女神の息子クピド(アモール)は恋をする。アモールから初めての接吻を受け動揺するプシュケー。プシュケーとはギリシア語で魂を意味。絵にみられる蝶はその魂の象徴。人間の魂と神の愛の結びつきという、ネオ・プラトニズム(万物は一者から流出したもの)を象徴した物語に、一種の憧れを感じる。2人の間に生まれた子供はウォルプタース(喜び)と名づけられた。




e0082110_1495782.jpg

≪アモールとプシュケー≫
フランソワ・ジェラール
1798年
油彩 カンヴァス

美しいおみ足・・♡

余談・・
1589年~1792年、200年間におよんだブルボン朝の幕がおりる。 王様がいなくなり、革命政府が誕生すると、1793年8月10日、ルーヴルは「中央美術博物館」として美術館としての始めの一歩を踏み出す(感涙・・)。一般市民が王室コレクションを鑑賞できるのは、10日間のサイクルのうち、わずか3日間に限られていた。 1803年、「ナポレオン美術館」とあらため、外交官で美術史家でコレクターのドミニク=ヴィヴァン・ドゥノンを館長に任命される。 ドゥノンは、絵画や彫刻のみならず、工芸品の収集もすすめた。ルーヴルの工芸部門は逸品揃いといわれる。ドゥノンの功績は大きい。





e0082110_1163610.jpg

≪エステルの化粧≫
テオドール・シャセリオ―
1841年
油彩 カンヴァス

化粧をしている女性は、旧約聖書エステル記のヒロイン、ユダヤの娘エステル。ハマンのユダヤ人虐殺計画を打ちあけるべく、王の宴席に向かうため身繕いをしているシーンが描かれている。当時、王への直訴は死刑を意味するものだった。アルジェリア旅行にインスパイアされたオリエンタリズム溢れる作品は、このルーヴルの壁紙ごと素敵。アングルの弟子と知り、納得。
 



e0082110_1174944.jpg

≪モルトフォンテーヌの思い出≫
カミーユ・コロ―
1864年
油彩 カンヴァス

写実主義のバルビゾン派に属し、印象派の先駆者といわれるコロー。光と霧を好んで描いたコローのこの代表作は、記憶の中の叙情的な情景、最もフランス人に愛されている絵だと聞いたことがある。


# by cocobear-riko | 2016-04-20 13:39 | 1er arrt | Comments(2)
私的ルーヴル八十八宝めぐり⑥絵画篇(北方絵画)
e0082110_1323775.jpg

2004年1月発行
芸術新潮「精選!ルーヴル八十八宝めぐり」

美術史家の小池寿子さんがルーヴルの常設展示3万6000点から88点を選りすぐり、古代エジプトからドラクロワまで、効率よく楽しく回れるよう秘密の急所を伝授した永久保存版。私のルーヴル鑑賞におけるバイブル。そのバイブルをナビに、今春、私的ルーヴル八十八宝めぐりを実現(12年ごし・・)!

本来ならパリの街角動物のまとめが先だけど、12年ごしとあっては・・ここはルーヴルを優先!余韻に浸りつつ健忘録。

結局、2日間に渡り、88のうち74の宝をみることができた・・




e0082110_051897.jpg

≪円形の大ピエタ≫
ジャン・マルエル
1400年頃
テンペラ 板

ここからやっと絵画部門に。ルーヴルには13世紀から19世紀までのヨーロッパ絵画が約7,000点常設されている。内訳は、北方絵画(オランダ・フランドル・ドイツ)約1,300点、イタリア絵画約1,100点、イギリスとスペインは各100点、自国フランス絵画は約4,400点!!

ジャン・マルエルは北方出身、この時期のフランス画家には北方出身が多かったのだとか。三位一体(父と子と聖霊)とピエタの両主題を兼ねたこの種の絵柄は、14世紀のパリで考案された。右脇腹をつたって流れる血は股間に達している。磔刑で人間の罪をあがない、救済をはかったイエスから流れる血は、新たな生命体を産むための初潮である」 このとても特異な考えは、神話主義者の間で広まった。その初潮の血が眼に入り白内障が治ったとされるのは、イエスの脇腹を槍で刺し、生死を確認したロンギヌス。のちに改心し、洗礼を受けたとされる。




e0082110_0515490.jpg

≪パリ高等法院の祭壇画≫
フランドルの画家
1452年頃
油彩 板

とても印象的な、向かって右下に描かれたパリの初代司教サン・ドニの殉教シーン。3世紀、ローマ長官によって斬首刑に処せられた、刑執行後、斬られた首を持って立ち上がり、説教をしながら10キロほど歩いて果てたという。サン・ドニ司教の血液型はA型(ど根性)に違いない!斬首の場所はモンマルトル(殉教の丘)。その10キロ先のサン・ドニに修道院が建てられ、12世紀以降、フランス王家の霊廟になった。




e0082110_0523767.jpg

≪ブラック家の祭壇画≫
ロヒール・ヴァン・デル・ウェイデン
1450年
油彩 板

初期フランドル派の画家ロヒール・ヴァン・デル・ウェイデンが描いた三連祭壇画。向かって右翼パネルにはマグダラのマリア、中央には聖母マリアとイエスと福音記者ヨハネ、左翼には洗礼者ヨハネが描かれている。興味深いのは"流れる文字"を思わせるラテン文字。「自分たちがいかに虚栄に満ちた存在であるかを忘れるな かつて美しかった私の身体も今では虫どものエサになっている」という、死へのメメント・モリ(警句)が書かれている。「南無阿弥陀仏」の念仏を唱える空也像を思わせる。




e0082110_0532533.jpg

≪エジプト逃避途上の聖家族≫
ハンス・メムリンク
1475年~1480年頃
油彩 板

初期フランドル派の代表的な画家の一人、ハンス・メムリンク作。左扉から養父ヨセフ、中央にキリストを抱いた聖母マリア、右扉にマグダラのマリア。ヘロデ王の嬰児(えいじ)虐殺令から逃れるため、聖家族は幼児のイエスを連れエジプトへ逃げ出す。その道中の荒野でつかの間の休息を取る聖家族が描かれている。嬰児虐殺は ショッキングな題材ながら、名立たる画家たちも絵に描いている。ニコラ・プッサンのそれは鬼気迫るものがある。当時のベツレヘムの人口はせいぜい300人程度、殺された幼児の数はどんなに多く見積もっても20~30人程度であったのではないかと推測される。




e0082110_0543966.jpg

≪キリスト教のアレゴリー≫
ヤン・プロヴォースト
1510年~1515年
油彩 板

アレゴリとは、絵画、詩文などあらゆる表現における抽象を具体化する技法の一つ。絵は「すべてを見 すべてを創って裁く 神の力」を象徴。見たこともない最後の審判の光景が広がっている。そして、良い人の魂は天国へ、悪い人の魂は・・




e0082110_0553364.jpg

≪ピエタ≫
サン・ジェルマン・デ・プレの画家
1495年~1500年頃
油彩 板

ー幼子は母に言う パンはどこ ぶどう酒はどこ と。傷つき 衰えて 都の広場で 息絶えてゆく。母のふところに抱かれながら。ー「預言者エレミヤの哀歌」より。聖母マリアの大粒の涙が印象に残る。マグダラのマリアは神妙な顔つきで香油壺を手にしている。自らの髪でイエスの足に香油を塗ったとされることから長い髪で描かれることが多いマグダラのマリアだが、この絵では頭にはターバンを巻いている。ポーズが格好いい。タカラジェンヌのよう。ピエタは15世紀ヨーロッパで最も広く普及したテーマのひとつ。イエスの年令は30代、聖母マリア様は40代。(いろんな説があるのでここは大まかに)




e0082110_0555966.jpg

≪十字架降下≫
聖バルトロマイ祭壇画の画家
1500年~1505年頃
油彩 板

あまり語られることのない、というか、初めてみるドイツの画家による十字架降下。まるで浮き彫り彫刻のよう。特に、マリアの哀悼を誇張した様相は、端正な形式美を追求したアングル「オダリスク」や、正しい動きよりも速さや躍動感を重視したジェリコー「エプソンの競馬」を思わせる。




e0082110_0562676.jpg

≪少女の肖像≫
ルーカス・クラナッハ
1540年
油彩 板

16世紀ドイツの3大画家といえば、デューラー、ホルバイン、そして、このクラナッハ。絵は68歳の時の作品。・・にしてはちょっと少女趣味のようにも見えるが、今でいう援助交際を題材にした絵も描いているところをみると、ロリコンへの風刺画?にも思えてくる。クラナッハお得意の女神像は60歳を過ぎてからのもの。作風からは、人生に対する洞察力、審美眼を兼ね備えた力量がうかがえる。宗教改革家マルチン・ルターと親交があり、ルターとその家族の肖像画をたくさん残している。個人的には、オーダーでマルチン・ルターベアを作る時にクラナッハの肖像画を参考にさせてもらった。ルターの説教集の表紙も木版画で飾っている。晩年は、同じ名前の息子他に工房を任せ、81歳まで生きた。いい画家人生だったに違いない。




e0082110_057134.jpg

≪バテシバの水浴≫
ヤン・マセイス
1562年
油彩 板

水浴び中のバテシバに目を留めたダビデ王は、遣いをやってバテシバを自分の下へ来させ、その夫である、自身の軍隊の将軍ウリヤを欺いた。かなり強引、英雄色を好む、だ。ヤン・マセイスはアントワープで活躍した画家。イタリアのマニエリスムの影響を受け、男を滅ぼす妖艶な女性を描いた。思わず「美しい!」と言ってしまった。




e0082110_0594389.jpg

≪ロードス島の巨像≫
ルイ・ド・コルリー
16世紀後半~17世紀初頭

太陽神ヘリオスをかたどった巨大彫像は、紀元前3世紀頃、12年の歳月を経て、リンドスのカレスによって、エーゲ海南東部のロードス島に建てられた。自由の女神像に匹敵する大きさで、なんでもいま、再建の動きがあるとか!これまでも再建の話があったが、地震によって倒壊したことから、神に似せた彫像を作ったことが神の怒りに触れたのだ!と反発をかい実現には至らなかった。絵は、16世紀後半に話題を呼んだM・ヴァン・へームスケルクの銅版画「世界8不思議」に触発されて描かれた。




e0082110_10357.jpg

≪バテシバ≫
レンブラント・ハンメルス・ファン・レイン
1654年
油彩 カンヴァス

ダビデからの手紙を手に失意の底にあるバテシバ。描き手によって印象が違う。マセイスのバテシバよりも親しみを感じる・・と思ったら、モデルはレンブラントの後妻ヘンドリッキェ・ストッフェルスだった。若くして乳癌で亡くなったことは、専門家によると、この絵の左胸のエクボからもわかるそう。バロックを代表する画家レンブラントの光と影の明暗が、この2人の宿命を美しく浮かび上がらせている。




e0082110_111620.jpg

≪部屋履き≫
サミュエル・ファン・ホーホストラーテン
1654年~1662年
油彩 カンヴァス

暗箱を使って描かれた、写真のような絵、トロンプ・ルイユ。レンブラントに学び、フェルメールと同じ時代を生きた17世紀のオランダ絵画を代表する画家ホーホストラーテン。初期ルネサンスの建築家レオン・バッティスタ・アルベルティは「絵画は窓である」と言っている。ホーホストラーテンの絵はまさに開かれた窓。


# by cocobear-riko | 2016-04-19 10:45 | 1er arrt | Comments(0)
私的ルーヴル八十八宝めぐり⑤工芸篇
e0082110_047492.jpg

郷里・熊本地震から三日、ファミリーのラインの書き込みが涙で読めない時がある。。自分に出来ることは。。何事も ひとつひとつ コツコツと・・ やるべき事をやろう!

2004年1月発行
芸術新潮「精選!ルーヴル八十八宝めぐり」

美術史家の小池寿子さんがルーヴルの常設展示3万6000点から88点を選りすぐり、古代エジプトからドラクロワまで、効率よく楽しく回れるよう秘密の急所を伝授した永久保存版。私のルーヴル鑑賞におけるバイブル。そのバイブルをナビに、今春、私的ルーヴル八十八宝めぐりを実現(12年ごし・・)!

本来ならパリの街角動物のまとめが先だけど、12年ごしとあっては・・ここはルーヴルを優先!余韻に浸りつつ健忘録。

結局、2日間に渡り、88のうち74の宝をみることができた・・

 


e0082110_0442926.jpg

≪バルベリーニの象牙板≫
6世紀前半
象牙

532年、ペルシャ軍と和平を結んだ皇帝ユスティニアヌスの勝利の肖像を象牙に施したもの。素晴らしい浮き彫り技術。皇帝の勝利を祝う獅子や象の表情もいい。これらはディプティクと呼ばれ、生死者名簿、聖人者名簿、ただの買い物メモとして使われたよう(贅沢!)。17世紀初めにクロード・ファブリ・ド・ペレスクからバルベリーニ枢機卿へ贈られた。




e0082110_0452231.jpg

≪十字架降下≫
1260年~1280年頃
象牙

ゴルゴタの丘でイエスの遺体を十字架から降ろす場面。アリマタヤのヨセフがイエスの屍を引き取り埋葬しようとしている。イエスを取り巻いているのは、聖母マリヤ、アリマタヤのニコデモ、マグダラのマリヤ、ヨセフの母マリヤ、ガリラヤからイエスに従ってきた婦人たちなどである。やわらかな採光、浮かび上がるフォルム、まるで舞台のワンシ―ンをみるよう。




e0082110_0455138.jpg

≪聖フランチェスコの聖遺物匣≫
1228年以降
銅・金・クリスタル・エマイユ(七宝)

1224年、瞑想中に、両手足と右脇腹に突然苦痛が走った聖フランチェスコ。するとそこには、キリストの磔刑と同じ5つの傷跡が!!正にその瞬間を表したかのような描写に思わず微笑んでしまう。神の描写も唯一無二のユニークさ。私もこういうのがいい(^-^)。クローバーは幸せのシンボル、十字架を模している。聖フランチェスコといえば私にとっては"小鳥に説教をする心優しき動物の守護聖人"




e0082110_0461666.jpg

≪聖ラウレンティヌスの指の聖遺物匣≫
13世紀~14世紀初頭
銅・銀・金

聖ラウレンティヌスは生きながら熱した鉄格子の上で火炙りにされた3世紀の有名な聖人。その殉教のさまに感銘、たくさんの人が改宗したと言われる。信者は、聖遺物を見たり触れたりすることによって、ご利益を得らると信じていた。よって、見る者がつい触れたくなるよう意匠が凝らされた。像は、小さな細い指先型の聖遺物匣を愛しそうに抱えている。つい触れてみたくなる。




e0082110_0464290.jpg

≪ウェヌスの勝利を崇める5人の伝説の騎士たち≫
タレトゥム攻略の画家
15世紀前半
テンペラ・木

15世紀イタリアでは、結婚などの慶事に際し、贈答用や持参品として、この種のものがつくられた。そして、その主題には、きわめて世俗的、時にエロティックなものが選ばれた。女神ウェヌス(ヴィーナス)は股間からのまばゆいばかりの光線を発して騎士たちを誘惑している。騎士は、ギリシャ神話のアキレウスとトロイロス、英雄パリス、円卓の騎士のトリスタンとランスロット、旧約聖書の士師サムソン。出産祝いに贈られたお盆、イケメン好きだったに違いない!w




e0082110_047622.jpg

≪ウェヌスの勝利を描いた婚礼用小箱≫
ジョヴァンニ・ディ・パオロ
1421年
テンペラ・木

肝心の絵柄が見えないけれど・・ ウェヌス女神(ヴィーナス)が両脇に従えているのは目隠しのクピド、盲目的な愛を表現しているのだとか。結婚祝いにぴったりな一品。描いたのは、イタリアのシエナ派の画家ジョヴァンニ・ディ・パオロ。なんとも神秘的で装飾的。




e0082110_0473091.jpg

≪パリスの審判≫
フォンタナ工房
1540年~1550年頃
陶皿

16世紀のイタリアで盛んにつくられていたマヨルカ焼き。 神々が参列する結婚式、若き羊飼い少年パリスは、ヘラ、アテナ、アフロディテ-、三人の女神の中から最も美しい女神を選ぶことになった。美しい女神たちは自分を選んでくれた暁には ヘラ「アジアの土地を全て与える」 アテナ「戦いでの勝利」 アフロディーテ「最も美しい人間の女」 を授けることを約束する。結果は・・、歴史の影に女あり、アフロディーテを選んだばっかりに(男ってw)、トロイ戦争へと発展してゆく。。三女神のライザップ顔負けのムキムキぶりに見入ってしまった。


# by cocobear-riko | 2016-04-17 18:10 | 1er arrt | Comments(0)
救済と復活のシンボル・預言者ダニエルの祈り・・
e0082110_1724525.jpg奇しくもこの記事を書いている時に、郷里熊本で巨大地震「平成28年熊本地震」が発生しました。

発生後からお見舞いメッセージが途切れることがなく、心配して心を寄せてくださる皆さまのお気持ちに、心温まる思いでおります。ありがとうございます。

実家も、そして、さらに規模を広げて嫁ぎ先の別府まで・・ 人的被害はありませんでしたが、家屋の外壁や家の中、会社も、打撃を受けました。。

ラインに流れてくる鬼気迫る熊本の様子、3・11を経験しているので、その恐怖が生々しく伝わってきます。こんなに研究がなされていても予測のつかない天災、明日は我が身と思い、受け止めています。そして、皆の思いはひとつ・・

写真:≪獅子の穴のダニエル≫12世紀初期 フランス
獅子の穴に投げ入れられても翌日には無事に生還した、救済と復活のシンボルとして尊ばれている旧約聖書の預言者ダニエル。いまは「この地震はどうしたものか・・」と溜息をついているようにみえる。。

救済と復活のシンボル・ダニエルの祈りが被災地に伝わりますように・・




e0082110_1251274.jpg

【私的ルーヴル八十八宝めぐり④彫刻篇】

2004年1月発行
芸術新潮「精選!ルーヴル八十八宝めぐり」

美術史家の小池寿子さんがルーヴルの常設展示3万6000点から88点を選りすぐり、古代エジプトからドラクロワまで、効率よく楽しく回れるよう秘密の急所を伝授した永久保存版。私のルーヴル鑑賞におけるバイブル。そのバイブルをナビに、今春、私的ルーヴル八十八宝めぐりを実現(12年ごし・・)!

本来ならパリの街角動物のまとめが先だけど、12年ごしとあっては・・ここはルーヴルを優先!余韻に浸りつつ健忘録。

結局、2日間に渡り、88のうち74の宝をみることができた・・




e0082110_0343497.jpg

≪十字架降下≫
13世紀前半
木彫彩色

ゴルゴタの丘でイエスの遺体を十字架から降ろす十字架降下。幼中高の宗教の時間、学内にある教会で幾度とみた場面だ。キリストを受け止めるのは12使徒ではなくアリマタヤのヨセフ(右)とニコデモ(左)。ヨセフはイエスのために自分の墓を提供、ニコデモはイエスの埋葬のために膨大な量の高価なお香を捧げている。日本は鎌倉時代、仏師・運慶がいた時代。イタリアの木彫群像の繊細さに見入ってしまう。




e0082110_035236.jpg

≪悲しみのキリスト≫
イタリア北部
15世紀末
石炭石

半死半生の像の前で痛みを分かち合い、祈りを捧げるためにつくられた祈念像のひとつ。苦悶の表情を浮かべるキリスト、その脇にはキリストの死を嘆き悲しむ二人の天使・聖ヒエロニムスと聖マルコ、キリストを祝福する父なる神の姿もある。棺から半身をおこしたキリスト像は「悲しみの人(イマーゴ・ピエターティス)」とも呼ばれる。古代ギリシャ・ローマ時代に良く見られた人物像の彫刻ではなく、浮き彫り壁画、ビザンティンのイコン伝来の図像で表現されている。



e0082110_0352250.jpg

≪キリスト磔刑像≫
12世紀前半
木彫彩色

奇しくもこの記事を書いている間に郷里熊本で地震(後に前震ということがわかる)が発生した。すぐにでも帰りたい気持ち。亡くなった方、被害に合わせた方に祈りを捧げつつ・・。ドイツ・バイエルン地方のこの死せるキリストの柔和な表情に、今宵は少し救われた気分になった。。

余談・・
12世紀の終わり、パリは、セーヌを挟んで南北に広がり、ヨーロッパでも有数の都市に発展していた。フィリップ二世(尊厳王)は、十字軍遠征でパリを離れるにあたり、 この街を、全長5キロの壁で囲うよう命じた。 しかし、セーヌ河が市の東西を貫通している限り、街全体を城壁で囲むことは到底無理・・。そこで、1190年頃、外敵の侵入に備え、セーヌ河への出入りを監視するために城壁が築かれることになった。ルーヴルの誕生だ。





e0082110_0355090.jpg

≪キリスト磔刑像≫
15世紀末


バイエルンの死せるキリストから約300年、北にいくにつれ、その様相は凄惨さを帯びてくる。フランドル地方ブラバントのキリストはいかにも痛々しい。。中世後期、キリストの受難を我がものとする「同感受難」という考えが広まった。教会の権威が揺らぎ、ペストをはじめとする疫病が蔓延し、百年戦争(1337~1453)に疲弊した中世後期独特の精神風土が芸術と絡み合い、隆盛を極めた。

余談・・
15世紀、百年戦争(英仏)で疲弊するフランスは、混乱の時代に突入する。1415年、ノルマンディ上陸を果たした英軍は、やがてパリを占領、当然、ルーヴルも略奪される。シャルル七世がパリを奪還し、百年戦争が集結した後も、ルーヴルは放置されたまま、牢屋や兵器置き場に使われ、劣悪な環境になってしまっていた。その様子を描いたユベール・ロベールの《廃墟となったルーヴルのグランド・ギャラリーの想像図》(1796年)はルーヴル内の特別展へ。今回は見逃してしまった(同じテーマの別の作品はみた)。




e0082110_036222.jpg

≪瀕死の奴隷≫
ミケランジェロ・ブオナローティ
1513年~1515年
大理石

ここにきてやっと年代と作者名が入った。ミケランジェロの未完作品。16世紀美術において死は、肉体から離脱し、永遠の世界へと人々を誘う甘味な眠りとされるようになった。奴隷の足元には猿がいて、物質界の虜になった人間を寓意。奴隷は自ら衣をたくしあげながら、肉体の重みから解放されようとしている。




e0082110_0364831.jpg

≪裸のヴォルテール≫
ジャン=バティスト・ピガール
1776年
大理石

ピュジェの中庭からリシュリュー翼の一階に入ると、フランス王立アカデミーの古典主義の作品が並ぶ。ここでデッサンをしている人をよくみかける。ヴォルテールことフランソワ=マリー・アルエは、フランスの哲学者であり、作家、文学者、歴史家。啓蒙主義を代表のするひとりで、アカデミー・フランセーズの会員としても活躍。ピガールは70歳近くのヴォルテールを裸で表した。ギリシアでは英雄を裸で表わすのは常だったが、ピガールのヴォルテール像はリアルすぎた為に拒絶された。10年後、彫刻家ウードンが永遠性のあるドレープで下半身を覆った。見えそうで見えない・・日本人的には結果オーライだと思われる。




e0082110_0371144.jpg

≪カトリーヌ・ド・メディシスのトランジ墓像≫
ジローラモ・デッラ・ロッピア
1566年
大理石

当時、小池さんのガイドで一番衝撃的だった募像。トランジ像なるものがあるのか!と驚いた。小池さんはルーヴルを訪れる度にご機嫌伺いに立ち寄られるのだとか。私にとってのそれはクリュニー中世美術館の長老猿だ。フィレンツェの名家メディチケに生まれ、14歳でフランス王アンリ2世に嫁いだカトリーヌ。トランジとは、死後の肉体の変化を克明に造形した彫像のことで、フランスでは夫が亡くなると、妻は生きながらにして自分の墓をつくる風習があったのだとか。小池さんによると、死後の姿が無惨であればあるほど、哀れんで祈ってくれる人が多ければ多いほど、故人の罪は軽くなり、祈る人自身の罪も減少、トランジ墓像には免罪の効果もあったのだとか。それを知った後でみると、悲惨(そうにみえる)な墓像もどこか愛おしい。。

余談・・
1559年、アンリ二世が馬上槍試合で急死すると、お妃のカトリーヌ・ドゥ・メディシスは摂政として実権を握る。妃は、1564年から、今のチュイルリー公園の東隣に(かつては瓦工場があった)宮殿をつくりはじめるが、おりしも宗教戦争の真っ只中、新教徒がパリで大虐殺される事件を契機に、チュイルリー宮の工事は中断された。





e0082110_0374326.jpg

≪ヴァランティーヌ・バルビアー二の墓碑≫
ジェルマン・ピロン
1572年~1584年頃
大理石

こちらもトランジ像、ただし、生前と死後の姿が上下にわかれて表現されている。残念ながら生前の像は外出中でみることができなかった。。時代はルネサンス、上下で死と再生をかたどっているのだろう、と小池さん。マダムはフランスの王室の財政を司さどった大法官夫人だった。作者は、16世紀末のフランス彫刻界を制覇したジェルマン・ピロン。1573年、夫のルネ・ド・ビラグがこのトランジ像を注文した。




e0082110_0383524.jpg

≪アンリ2世の心臓用墓碑≫
ジェルマン・ピロン
1570年~1571年
大理石

引き続きジェルマン・ピロン作。11世紀~、ヨーロッパでは三分割埋葬が流行った。十字軍や戦争など遠隔地で歿した王侯貴族の遺体は、その地で解剖され、心臓と内蔵は取り出され、防腐処置がなされた。キリストの復活のごとく、内臓は現地で埋葬され、心臓は郷里へ、残った遺骸は大釜で煮て故人と縁のある地へ運ばれ、手厚く葬られた。アンリ2世はフランソワ1世(ルーヴルの父)の第二王子。ここは夜がいい。リヴォリ通りから窓越しにみえる墓碑彫刻群の美しさにうっとりする。




e0082110_17411029.jpg

≪イノサン墓地の死神≫
1540年頃
雪花石膏

パリの三大墓地と言えば、ペール・ラシューズ、モンマルトル、モンパルナス。でも、18世紀までは、イノサン墓地がパリ最大級の墓地だった。3区のレ・アル、イノサンの泉があるところだ。教会にはたくさんの亡骸が持ち込まれ、いい加減な埋葬がなされていた。その名残はパリの地下墓地カタコンブに見られる。「どれほど巧みに力強く生きていようとも、おいらのこの矢の一撃に逆らえる者なんていやしない。口を開けた蛆虫どもの餌食になるばかりさ」魂の管理人・イノサン墓地の死神は、いまも不気味に歌っている。。




e0082110_039105.jpg

≪シャルル五世の内蔵用墓碑≫
ジャン・ド・リエージュ 
1374年以降
大理石

シャルル5世は、フランス・ヴァロワ朝第3代の王、le Sage賢明王と呼ばれた。最初にドーファン(Dauphin)の称号を有した王太子、お印はドルフィン。この横臥像(おうがぞう)は、お腹にまるで鏡餅のような内臓墓碑を大事に抱えている。遺骸を収めた墓は、パリ郊外の旧フランス王国廟堂サン・ドニ修道院聖堂に置かれている。ジャン・ド・リエージュは、シャルル5世時代随一の彫刻家。仏像を思わせるバランスよくしなやかなドレープ、まっすぐな鼻と目の独特な彫りが特徴。

余談・・
14世紀、ルーヴルは、城壁から宮殿へと、華やかな転身を遂げる。シャルル五世は、円塔のひとつに、貴重な写本を973冊も集めたフランス国立図書館の前身「王の図書館」をつくった(リニューアル中)。、基礎です。





e0082110_040198.jpg

≪獅子の穴のダニエル≫
12世紀初期
大理石

サント・ジュヌヴィエーヴ聖堂にあったロマネスク期の柱頭彫刻。首をかしげたダニエルがなんとも可愛らしい。獅子の穴に投げ入れられても翌日には無事に生還した、救済と復活のシンボルとして尊ばれている。奇しくもこの記事を書いている時にまた、郷里熊本で本震とみられる巨大地震が発生した。。救済と復活のシンボル・ダニエルの祈りが被災地に伝わりますように・・


# by cocobear-riko | 2016-04-16 18:27 | 1er arrt | Comments(3)
私的ルーヴル八十八宝めぐり③古代エトルリア・古代ローマ篇
e0082110_1274825.jpg

2004年1月発行
芸術新潮「精選!ルーヴル八十八宝めぐり」

美術史家の小池寿子さんがルーヴルの常設展示3万6000点から88点を選りすぐり、古代エジプトからドラクロワまで、効率よく楽しく回れるよう秘密の急所を伝授した永久保存版。私のルーヴル鑑賞におけるバイブル。そのバイブルをナビに、今春、私的ルーヴル八十八宝めぐりを実現(12年ごし・・)!

本来ならパリの街角動物のまとめが先だけど、12年ごしとあっては・・ここはルーヴルを優先!余韻に浸りつつ健忘録。

結局、2日間に渡り、88のうち74の宝をみることができた・・
今回、作品のメンテナンス、貸出、入れ替えなどもあり、全てを網羅できなかった。古代エトルリア・古代ローマに至っては、5つのうちひとつしか見ることができなかった。




e0082110_025871.jpg

≪エウダイモンのミイラと肖像≫
エジプト・アンティエノ 2世紀
リネン
蜜蝋画

ローマ支配下にあってもなおエジプトで作り続けられていたミイラ。晩年は、棺も石棺から木棺になり、このエウダイモンのミイラのように、蜜蝋で描かれた死者の生前の肖像画が、ミイラの頭部を覆った。死者の顔に生き写しのマスクを被せる伝統はすでに古王国時代に現れているが、写真を見る限りでは、少々説得力に欠ける。これらの蜜蝋画は肖像画のはしりという説もある。ミイラはエジプト最後の王朝プトレマイオス朝時代までつくられた(かのクレオパトラが生きた時代)。ちなみにミイラの語源は防腐剤に使用された"ミルラ(没薬もつやく)"。お腹のあたりに「エウダイモンの幸あれ」と書かれている。ミイラは親族がいつても拝めるよう家屋の大切な場所に置かれていたとか。そして、時は流れ、古代が終わる。日本においては、卑弥呼が女王になるのはこの約200年後。

余談・・
1654年、貴族の最後の反乱、フロイドの乱が静まると 若き太陽王は、建築家のルイ・ルヴォーに命じて、母后の居室を改造させる。ロマネッリによる絢爛豪華な天井画が描かれた部屋は「アンヌ・ドートリッシュの夏の御座所」と呼ばれ、現在もここローマ彫刻の展示室(ドゥノン翼1階)に使われている。映画「仮面の男」では、ダルタニアンをガブリエル・バーン、アンヌ王妃をアンヌ・パリローが演じている。ダルタニアンはアンヌに薔薇一本を捧げ、最期の時に向かう。



# by cocobear-riko | 2016-04-14 20:01 | 1er arrt | Comments(0)
私的ルーヴル八十八宝めぐり②古代ギリシャ篇
e0082110_029523.jpg

2004年1月発行
芸術新潮「精選!ルーヴル八十八宝めぐり」

美術史家の小池寿子さんがルーヴルの常設展示3万6000点から88点を選りすぐり、古代エジプトからドラクロワまで、効率よく楽しく回れるよう秘密の急所を伝授した永久保存版。私のルーヴル鑑賞におけるバイブル。そのバイブルをナビに、今春、私的ルーヴル八十八宝めぐりを実現(12年ごし・・)!

本来ならパリの街角動物のまとめが先だけど、12年ごしとあっては・・ここはルーヴルを優先!余韻に浸りつつ健忘録。

結局、2日間に渡り、88のうち74の宝をみることができた・・




e0082110_035497.jpg

≪キュクラデスの偶像≫
紀元前2700年~前2400年
大理石

ルーヴルのサイトをみると 「腕を組んだ偶像」型の女性像の頭部 とある。当初はタイトル通り、胸の下で腕を組み、両足をつけ、爪先立ちをした、宗教的な役割を担った女性裸体像だったもよう。1910年前半に始まった狭義での抽象、モディリアニの絵画を思わせる。




e0082110_042365.jpg

≪サモスのコレ―≫
紀元前2700年~前2400年

コレ―とは若い女性の彫像のこと。アルカイック期を通じてつくられ、ギリシャにおける人像表現の伝統を築いた。美しい衣の装飾の縁には「ケラミュエースが捧げ物として我をヘラに奉献せり」と記されていて、最高位の女神、サモスの神殿のヘラに捧げられたことがわかる。ヘラと言えば嫉妬深さは天界一w!この美しさが気に障ったのか・・頭部と左手に握っていたとされる神殿の鍵は腕ごとない。。




e0082110_05146.jpg

≪ランパンの騎士≫
紀元前570年~前560年
大理石

なんともお洒落な髪型とお髭にも目が釘付け、こちらまでアルカイックスマイルになる(^-^)。アクロポリスに捧げられた大量の騎士の奉納品のひとつ。セロリの冠から、コリントスで行われたイストミア競技会(もしくはネメア競技会)の勝者を表現したとされる。イストミア競技会は古代ギリシア四大競技会のひとつ、開催は2年に一度、古代オリンピックの前後の年に開催されていた。

~ギリシャ美術を見て思うのは、断片と化してなお、絶大な存在感を保っていること。きっと、ギリシャ文明を担った人々が、人体の把握に大きな情熱を捧げていたからだろう。彼らが徹底した観察眼と深い思想から生みだした人のかたちは、顔がなくても胴がなくても、全体像を彷彿とさせる。~ 小池寿子

サモトラケのニケも然り。




e0082110_053451.jpg

≪ファイニッポスとムネサレテの墓碑≫
紀元前4世紀
大理石

栄華の象徴パルテノン神殿が建造された頃、アテネを中心とするアッティカ地方で盛んにつくられた浮彫墓碑。夫ファイニッポスは亡き妻ムネサレテの手を握り惜別の情を伝えている。でもムッシュの視線は他の女性(召使)にいってるようにも見える。。ギリシャ神話を思わせる。。w




e0082110_071066.jpg

≪眠るアリアドネ―≫
1世紀~2世紀
大理石

できたら天気のいい日の午前中に見てほしい・・と小池さん。朝陽に染まる寝姿がなんとも言えず美しい。怪物退治にクレタ島の迷宮へ入ったテーセウスに、アリアドネ―は脱出用の糸を与え無事帰還させる(難問を解決する鍵を「アリアドネの糸」という)。その後結婚の契りを交わすもののテーセウスは浜辺で眠るアリアドネをひとり置き去りにする。茫然自失のアリアドネー、果報は寝て待てと言うけれど、16世紀宗教戦争の真っ只中、 アリアドネーが眠るそのすぐ傍で、四人のカトリック同盟員が絞首刑にされている。。ちなみにここはカリアティードの間と呼ばれ(アンリ2世時代)舞踏会や公式会議に使用された。

余談・・
1546年、フランソワ一世は、建築家ピエール・レスコーに命じて、ルネサンス風の宮殿をつくらせた。残念なことに、完成を見ずして亡くなってしまうが。その後、息子のアンリ二世が引き継ぎ、1550年、このカリアティードの間を完成させる。




e0082110_073344.jpg

≪ボスコレアーレの銀製杯≫
ナポリ近郊
紀元前2700年~前2400年


死を深く見つめるために用いられた骸骨たちが楽しすぎる。「生きている間は楽しみなさい。明日には何があるか分からない」点線でこう刻まれている。Memento Moriメメント・モリに象徴されるように、死に対して恐怖を感じるのではなく、死を記憶して、今を精一杯楽しめ!ということ。・・いまふと時計を見たら4:44だったw




e0082110_07556.jpg

≪グロテスク≫
紀元前325年~前300年
テラコッタ(素焼き)

アテネの北、ボエオティア地方でつくられた小像。小さくて可愛いと思いきや死者の像。忌まわしいグロテスクな様相は悪の力を払いのける厄除けの力をもっているとされる。生と死、陰と陽、善と悪、この世の誰もが持つ二面性を象徴。




e0082110_081732.jpg

≪墓参り≫
紀元前440年~前420年
陶器

白地レキュトスと呼ばれる陶製の壺の中には、死者の身体を清めるための香油が入れられていた。墓碑に布を巻き、供物を捧げ、音楽を奏で、死者とともに飲食をする風習が繊細に描かれている。古代ギリシャの死生観を静かなカンパーニュ・ギャラリーで想う。




e0082110_082810.jpg

≪マントに包まれ二人≫
紀元前525年~前500年
陶器断片

小さな断片に遺された永遠の愛。。




e0082110_091396.jpg

≪アキレウスの死を嘆き悲しむネレイスたち≫
紀元前570年~前550年
ダモン画
陶器

アポロンに指揮されパリスが放った矢が踵に刺さり殺された英雄アキレウス。その亡骸の周りには、母である海の女神テティスと9人の海のニンフ、習慣に従い"泣き女"が髪を乱しながら葬儀を盛り上げ?ている。




e0082110_093876.jpg

≪踊る人たち≫
紀元前575年~前565年
陶器

鋭く美しく反る手首、エジプトの拍子木をふと思い出した。フランス人の友達に「ルーヴルが好き」と言うと「なぜ?オルセーの方がいいよ」と言われる。私にとってルーヴルは創造の宝庫だ。振付家でダンサーのニジンスキーも、この古代ギリシャの壺などに多く描かれた横向きのポーズに触発され、「牧神の午後への前奏曲」(ドビュッシー)の振り付けの参考にしたと言われている。その上演に触発された彫刻家のロダンも、ニジンスキーを彷彿とさせる躍動感溢れる彫刻をつくっている。


# by cocobear-riko | 2016-04-14 16:24 | 1er arrt | Comments(0)
私的ルーヴル八十八宝めぐり①古代エジプト篇
e0082110_1311467.jpg

2004年1月発行
芸術新潮「精選!ルーヴル八十八宝めぐり」

美術史家の小池寿子さんがルーヴルの常設展示3万6000点から88点を選りすぐり、古代エジプトからドラクロワまで、効率よく楽しく回れるよう秘密の急所を伝授した永久保存版。私のルーヴル鑑賞におけるバイブル。そのバイブルをナビに、今春、私的ルーヴル八十八宝めぐりを実現(12年ごし・・)!

本来ならパリの街角動物のまとめが先だけど、12年ごしとあっては・・ここはルーヴルを優先!余韻に浸りつつ健忘録。

結局、2日間に渡り、88のうち74の宝をみることができた・・




e0082110_23465134.jpg

上≪拍子木≫
第18王朝(紀元前1550年~前1295年)
カバの骨

下≪ハトホル女神の拍子木≫
中・新王国時代(紀元前2033年~前1070年)
カバの骨

日本はちょうど縄文時代、骨角器もつくられている。でもこの拍子木の美しさと言ったら。。エジプト美術の中でも優美繊細な一品。カバの骨で出来ていて、実用品(楽器のような役割)だったよう。ミイラの上を飛ぶバー(鳥)、バーはかつて住んでいた肉体かどうかを、その顔によって識別し蘇生する。顔を施すことは大事なことだったのだ。




e0082110_23474639.jpg

≪ラムセス三世の石棺≫
第20王朝(紀元前1184年~前1153年)
桃色花岡岩

なんて大きな石棺!「大きさ」は古代にとって重要な美の概念だったらしい。石棺には上記のバーが施されている。ここは"オリシス神のクリプト(地下祭室)"と呼ばれる葬礼美術が並ぶ一角、鎮座しているはずの冥界の王オシリスは残念ながら不在だった。。オリシスは弟のセトに殺害され、妹(妻でもある)のイシスに助けられて蘇生した。




e0082110_23483314.jpg

≪タムトネフェレトのミイラ棺・覆い≫
第21王朝(紀元前1070年~前945年)
木彫彩色

歌姫のミイラを納めた棺はマトリョ―シカ状!カルナック神殿アメン神(空気の神)の歌姫、クレオパトラとシーザーも訪れたことのある神殿で美声を響かせていた。手厚く葬られた様子を見ると、重要な地位にあったことが解る。カルナック神殿というとアガサ・クリスティ原作の映画「ナイル殺人事件」を思い出す。




e0082110_23491018.jpg

≪ネプケドの死者の書≫
第18王朝末期(紀元前1391年~前1353年)
パプルス

古代エジプトの巻物状の葬儀文書。副葬品のひとつ。ネプケドなる人物が母と娘を従えて冥界の王オシリスに供物を捧げ、死後の世界への旅立ちの安全祈願をしているシーンが描かれている。エジプト美術は死後の世界に捧げられた美術なのかもしれない・・と小池さん。今回、フランスの友達とも「人が最終的に行き着くところはアート」と話をしていたところ。誰も死後の世界を知らない。いつの世も誰もが死後の案寧を願い祈っている。多大なエレルギーを投じてつくられたエジプト美術の死後の世界感に、これからも誰しもが魅せられるだろう。




e0082110_23503457.jpg

≪ホルスに乳をあたえるイシス女神≫
末期王朝時代(紀元前664年~前332年)
青銅

前記したように、イシスは冥界の王オシリスの妹にして妻。幼子イエスの授乳する聖母マリア像の原型という説もある。




e0082110_23511411.jpg

≪猫のミイラ≫
末期王朝時代(紀元前644年~前332年)

可愛がっていた愛猫もミイラ化する習慣があった。私はどうもこのファラオ時代のコーナーは怖いもの見たさ・・得意ではない(でも呼ばれるのだ)・・何かに憑かれそうでそわそわする。。




e0082110_1534439.jpg

≪アメンヘテプ四世巨像≫
第18王朝(紀元前1364年~前1360年)
砂岩

カルナクにあるアメン神殿の東に位置する建造物から出土。アメンヘテプ四世は、神と人の唯一の仲介人、王の姿をした太陽神とされた。中学の歴史の自由ノートにこの像を描いたことを思い出す。このノートを提出すると通知表の評価が上がった。冊数が増すごとにまとめることが好きになった。まとめ癖はこれがキッカケ。東野先生はもういない。今更ながら多謝・・




e0082110_23515826.jpg

≪タペレトの碑≫
第22王朝(紀元前900年~前800年)
木に彩色

特別展「Mythes fondateurs. D’Hercule à Dark Vador(神話を探して。ヘラクレスからダースベイダー)」に移住していた。見落とすところだった。太陽を表すラ―神(ハヤブサの頭を持つ)と太陽光線を表す百合の花、今も色褪せない色彩と形象にビックリ。表には太陽を象徴するラー神、裏面には太陽が沈む姿を象徴するアトゥム神が描かれている。太陽と月、生と死、相反する二面性は永遠のテーマだと思わせてくれる。




e0082110_2353537.jpg

≪神妻カロママ立像≫
第22王朝(紀元前875年~前850年)
ブロンズに金・銀・エレクトラム象嵌

まずこのフォルムと伊藤若冲の鶏を思わせる綿密な描写に魅了される。手にはシストルム(マラカスのような楽器)を持っていたとされる。台座には「アメン・ラー神から愛されたアメン神の妻、神聖な崇拝者」とあり、生涯神に仕え、シストルムを振ってアメン神を喜ばせていたことがわかる。でもその憂いを秘めた目には、やがて訪れる王国の落日が映っている・・と小池さん。"カロママ"は名前ではなく役職名。ちょっとつくりたくなってきたw


# by cocobear-riko | 2016-04-14 00:45 | Comments(0)
PARIS SANS PAROLES 2016
e0082110_034080.jpg





e0082110_1845556.jpg





e0082110_18445998.jpg





e0082110_1847444.jpg





e0082110_051584.jpg





e0082110_081687.jpg





e0082110_18551299.jpg





e0082110_061315.jpg





e0082110_0103321.jpg





e0082110_0111574.jpg





e0082110_011566.jpg




# by cocobear-riko | 2016-04-12 15:38 | Paris | Comments(0)
La Réserve Paris
e0082110_5265747.jpg

今回のパリも、後半はアパルトマンからホテルに移動。シャンゼリゼ通りとフォーブル・サントノレ通りに挟まれたガブリエル通りへ・・




e0082110_53355.jpg

ピエール・カルダン邸跡に昨年オープンしたラ・レゼルヴ




e0082110_5344672.jpg

ショコラの旅友ご推薦のホテル、ビビオテックも素晴らしい。




e0082110_5462481.jpg

ジャック・ガルシアによる上品で洗練されたインテリア




e0082110_5371067.jpg

スノッブに陥らない温かみの感じられるサービスが心地よく、快適に過ごせました。




e0082110_5502532.jpg

Tout y a été parfait♡ la télé intégré au miroir テレビは鏡の中!




e0082110_5431969.jpg

操作は全てタブレットで(ロワイヤルモンソーもペニンシュラもそうだった)




e0082110_5424110.jpg

全てに美しいホテルだった。。




e0082110_541954.jpg





e0082110_5392896.jpg





e0082110_5513795.jpg





e0082110_5575117.jpg





e0082110_5353450.jpg

Hôtel La Réserve
42 Avenue Gabriel, 75008



# by cocobear-riko | 2016-04-12 15:35 | Paris | Comments(0)



Mariko TSURUTA, je suis créatrice d'animaux, d'ours en peluche. テディベア、動物作家の鶴田眞利子です。Tous droits reserves copyright(c) 1995-2017 Coquin Coquine Bear 
by cocobear-riko
S M T W T F S
1 2 3
4 5 6 7 8 9 10
11 12 13 14 15 16 17
18 19 20 21 22 23 24
25 26 27 28 29 30
検索
  • このブログに掲載されている写真・画像・イラストを無断で使用することを禁じます。
HP他
最新の記事
水無月 十一面千手観音菩薩クマ
at 2017-06-01 00:28
フランス旅2017年春(長く..
at 2017-05-01 19:45
ポール・マッカートニー On..
at 2017-04-28 05:19
納品情報@Dear Bear..
at 2017-04-11 02:14
初日レポ!くまモン大集合@日..
at 2017-03-30 07:40
以前の記事
2017年 06月
2017年 05月
2017年 04月
more...
最新のコメント
〇〇号は私も気に入ってい..
by cocobear-riko at 04:48
(どうも長文だと送れない..
by cocobear-riko at 04:46
鍵コメさま わ~コメン..
by cocobear-riko at 04:45
真弓さん 新しいノート..
by cocobear-riko at 01:31
しっかり予習出来ました^ ^
by 杉藤真弓 at 16:28
カテゴリ
鶴田のイベント情報
トランクはパリに預け・・
Paris
1er arrt
2e
3e
4e
5e
6e
7e
8e
9e
10e
11e
12e
13e
14e
15e
16e
17e
18e
19e
20e
クマたちがいる風景
いろいろ
タグ
ライフログ
画像一覧
フォロー中のブログ
まさよのおフランス日記・...
代官山だより♪
パン好きkinoのバリアな日々
旅する材料屋 hand ...
「IMAGE」 by M...
Nick's Favor...
milly.b