2010年 02月 09日
Jean Le Rond d'Alembert(ジャン・ル・ロン・ダランベール)
久しぶりにスタルク(パリの歴史板)のお時間です^^
が、どこに建っていたか、定かでないのです。。窓ガラスにうっすらとパリ友がうつっているので(あは)、狩猟博物館の近くだと思われますが。。ご存知の方がいらっしゃいましたら、教えてくださいね
ジャン・ル・ロン・ダランベール(1717~1783)、日本でも小学生向きの伝記本が出てもよいのでは、と思いました(いつものように自己流な訳、脱線多しです)
1717年、11月16日、伯爵夫人である彼の母親は(父親は、騎士デトーシュ)、ジャン・ル・ロン教会前の石段に、未来の数学者・哲学者、ジャン・ル・ロン・ダランベールを捨てました(ダランベールの名前は、教会の名前に由来。教会は現存しません)。彼は、ここに住んでいたマダム・ルソー、ガラス職人の夫婦に引き取られました。マダムとの結びつきは強く、48歳まで、この乳母の家で暮らします。父親が残してくれた財産のお陰で、後に、ダランベールは、バカロレアに合格、法律や医学で身を立てようとしますが、数学に全てを捧げます。彼の最初の仕事は、科学アカデミーに評価され、24歳の時に、助会員に選ばれます。1745年、ディドロと一緒に、「百科全書」の編集をはじめ、1751年、長大な「序論」で名声を博します。タンベールは、数学者・哲学者として広くその名を知られ、とりわけ、マダムGeoffrinに気に入られ、社交界でも人脈を広げます。1764年、ジュリー・デ・レスピナス(生涯で愛した唯一の女性と言われている。15歳年下。2度の浮気でダランベールを悲しませる)の家に移り住みます。1754年、アカデミー・フランセーズの会員になり、1783年10月29日、突然亡くなるまでに、アカデミー・フランセーズの終身幹事という最高の栄誉職に就きました。
こちら、モーリス・カンタン・ド・ラ・トゥール作(ポンパドール夫人の肖像画で有名)のダランベール氏の肖像画です
可哀想な過去を持ちながらも、なんて上品で豊かなお顔立ちをなさっているのでしょう
産みの親より育ての親、ということだったのでしょうか
何が彼を動かしたのでしょう
数字(美)の魔力か
15歳年下の彼女の存在か・・
+++++
その他、スタルク風景を一挙ご紹介(一部です。訳はまたいつか^^;
私の管轄(笑)ですと、上から二番目、ご覧ください(9区)。建物の帯の部分に、狩猟をイメージしたレリーフが彫られています(犬、鹿、イノシシなど)。かなり細かく、しかも、迫力もあり、私はこの周りを、上を見上げながらぐるぐるぐるぐる廻ってしまいました。そうすると、パリの人達も、「こんなところにこんなのがあったんだ」と、暫し立ち止まって見て行かれるのでした。
が、どこに建っていたか、定かでないのです。。窓ガラスにうっすらとパリ友がうつっているので(あは)、狩猟博物館の近くだと思われますが。。ご存知の方がいらっしゃいましたら、教えてくださいね
ジャン・ル・ロン・ダランベール(1717~1783)、日本でも小学生向きの伝記本が出てもよいのでは、と思いました(いつものように自己流な訳、脱線多しです)
1717年、11月16日、伯爵夫人である彼の母親は(父親は、騎士デトーシュ)、ジャン・ル・ロン教会前の石段に、未来の数学者・哲学者、ジャン・ル・ロン・ダランベールを捨てました(ダランベールの名前は、教会の名前に由来。教会は現存しません)。彼は、ここに住んでいたマダム・ルソー、ガラス職人の夫婦に引き取られました。マダムとの結びつきは強く、48歳まで、この乳母の家で暮らします。父親が残してくれた財産のお陰で、後に、ダランベールは、バカロレアに合格、法律や医学で身を立てようとしますが、数学に全てを捧げます。彼の最初の仕事は、科学アカデミーに評価され、24歳の時に、助会員に選ばれます。1745年、ディドロと一緒に、「百科全書」の編集をはじめ、1751年、長大な「序論」で名声を博します。タンベールは、数学者・哲学者として広くその名を知られ、とりわけ、マダムGeoffrinに気に入られ、社交界でも人脈を広げます。1764年、ジュリー・デ・レスピナス(生涯で愛した唯一の女性と言われている。15歳年下。2度の浮気でダランベールを悲しませる)の家に移り住みます。1754年、アカデミー・フランセーズの会員になり、1783年10月29日、突然亡くなるまでに、アカデミー・フランセーズの終身幹事という最高の栄誉職に就きました。
こちら、モーリス・カンタン・ド・ラ・トゥール作(ポンパドール夫人の肖像画で有名)のダランベール氏の肖像画です
可哀想な過去を持ちながらも、なんて上品で豊かなお顔立ちをなさっているのでしょう
産みの親より育ての親、ということだったのでしょうか
何が彼を動かしたのでしょう
数字(美)の魔力か
15歳年下の彼女の存在か・・
+++++
その他、スタルク風景を一挙ご紹介(一部です。訳はまたいつか^^;
私の管轄(笑)ですと、上から二番目、ご覧ください(9区)。建物の帯の部分に、狩猟をイメージしたレリーフが彫られています(犬、鹿、イノシシなど)。かなり細かく、しかも、迫力もあり、私はこの周りを、上を見上げながらぐるぐるぐるぐる廻ってしまいました。そうすると、パリの人達も、「こんなところにこんなのがあったんだ」と、暫し立ち止まって見て行かれるのでした。
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allwesen
at 2010-02-09 06:09
x
こんばんは、
肖像画もいいですね。当時のアカデミスム絵画でいいでしょうか
肖像が独特の描き方ですね。
この哲学者ははじめて知りました。数学者でも有ったんですね。
今頃から百科事典などが流行りだしたころですね。
「ボディークリティシズム」と言う本で図像学的にどのように人体が表現されてきたとか植物の博物学についてのことを思い出しました。
痛風の絵がきかただとか・・・・
主著は何でしょうか?日本語訳はありますか?
またパリのこと楽しみにしています。
肖像画もいいですね。当時のアカデミスム絵画でいいでしょうか
肖像が独特の描き方ですね。
この哲学者ははじめて知りました。数学者でも有ったんですね。
今頃から百科事典などが流行りだしたころですね。
「ボディークリティシズム」と言う本で図像学的にどのように人体が表現されてきたとか植物の博物学についてのことを思い出しました。
痛風の絵がきかただとか・・・・
主著は何でしょうか?日本語訳はありますか?
またパリのこと楽しみにしています。
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sawaya_okami at 2010-02-09 13:01
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cocobear-riko at 2010-02-09 22:44
allwesenさん
パリでは余裕があるとスタルクを撮影しているのですが
その中のひとつで、私も、お初の方でした
森美術館で開催中の「医学と芸術」、allwesenさん、お好きかも
前に、図書館で、啓蒙時代の奇形を集めた本を手にしたことがあるのですが
(表装が綺麗だったのでつい、開いてみたら、気分が悪くなりました;)
それにしても、通風の描き方、見てみたいです
ポンパドール夫人の肖像画(ラ・トゥール作 1755年 ルーヴル美術館蔵)
をみると、机上に、ディドロとダランベールの「百科全書 第1巻」が
描かれているようです
日本語訳の本も数冊、出版されているようですね
ご参考までに↓
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%99%BE%E7%A7%91%E5%85%A8%E6%9B%B8
当時の画家は正に時代の証人です
パリでは余裕があるとスタルクを撮影しているのですが
その中のひとつで、私も、お初の方でした
森美術館で開催中の「医学と芸術」、allwesenさん、お好きかも
前に、図書館で、啓蒙時代の奇形を集めた本を手にしたことがあるのですが
(表装が綺麗だったのでつい、開いてみたら、気分が悪くなりました;)
それにしても、通風の描き方、見てみたいです
ポンパドール夫人の肖像画(ラ・トゥール作 1755年 ルーヴル美術館蔵)
をみると、机上に、ディドロとダランベールの「百科全書 第1巻」が
描かれているようです
日本語訳の本も数冊、出版されているようですね
ご参考までに↓
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%99%BE%E7%A7%91%E5%85%A8%E6%9B%B8
当時の画家は正に時代の証人です
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cocobear-riko at 2010-02-09 22:47
まさよさま
今回up分は昨春のもの:
秋のはまだピックアップできていないのです・・
滞っておりますが、訳をしてみると、やはり、面白いので
細く長く続けていきたいと思っています
では、また、あちらで(笑
今回up分は昨春のもの:
秋のはまだピックアップできていないのです・・
滞っておりますが、訳をしてみると、やはり、面白いので
細く長く続けていきたいと思っています
では、また、あちらで(笑
by cocobear-riko
| 2010-02-09 00:53
| 3e
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Comments(4)